将来の夢は「ペンキ屋さん」でした。
私、斉藤大吾は1977年に生まれました。その当時から、塗装業を営んでいた会社にはペンキの缶がたくさんありました。職人気質の父は、なかなかペンキ缶やハケを触らせてくれなかったので、こっそり行って遊んでいたのを覚えています。
5歳になると子供たちの「将来の夢」を書いて壁に貼り出します。周りの友達は、当時流行っていたヒーローなどを書いていましたが、
私の夢は「ペンキ屋さん」。妙に現実的な夢ですが、家にペンキ缶がたくさんあったので「ペンキ屋さん」になりたいと思っていました。その夢を見たときの父の本当に嬉しそうな笑顔は今になっても忘れません。
小学校、中学校と進み、高校3年の進路を決める時期で周りの友達が悩んでいるときも、私は
少しの迷いもなく「塗装業をやる。」と決めていました。
仕事が面白くてしょうがない。
高校卒業後、念願叶い父のもとで塗装業を始めることになりました。最初の丸一年は、現場掃除と鉄部の錆落としが仕事。その当時の錆落としは、紙ヤスリを使った手作業だったので、すぐに
手がボロボロになりました。
そのころ周りの職人に「
皆の仕事を見て勉強するのがお前の仕事だ。」言われました。職人の世界は、技術を教えるということをしません。「見て盗んで物にする」しかないのです。今でも、現場掃除をしながら仲間の職人の仕事を見てしまいます。
3年が経ったころ、初めて塗る仕事を任されました。塗装箇所は格子。トイレやお風呂などについている防犯用の柵です。ついにハケを持っての塗装。見よう見真似で最初の一塗り。「面白い…!!」。職人になった現在も、
塗装業という仕事が面白くてしょうがありません。仕事がない日は気が抜けて体調が悪くなるほど、塗りたくてしょうがないからだと思います。
「斉藤さんに頼めば間違いない。」
私の天職であると感じている塗装を始めて8年が経った昨年、私の尊敬していた父が亡くなりました。私は職人でしたので、父の取り仕切っていた会社の経営について少ししか分かりませんでしたが、周りの職人やお客様がよく応援していただきました。
皆さんに守られ助けられ今があります。
私は父の後を継いだ二代目です。父を超える仕事・お客様との関係づくりをお客様と一緒に作りたいと考えています。“お客様一人一人と顔を合わせることができる塗装工事”を通して、いつか「
斉藤さんに頼めば間違いない。」と言われるようにしたいと心から想っています。